2013年6月3日月曜日

ばっぱ齋藤さんと遠藤さんの語り継ぎ−2

今回の語り継ぎで初めてお聞きするお話で、
心に残ったお話を少し、書きます。
昨年、お聞きしたお話は、2012年12月のブログを見てくださいね。
(それを読んでからの方が、下記状況、判るかもしれません。)

人間一番、基本は食べて、排泄して、寝るという事ですよね。
避難所でないホームセンターの屋上に避難した齋藤さん達は、
誰も助けに来てくれないので、知恵を絞って、これに立ち向かいました。

トイレは最初、屋上の一画に場所を決め、
その次の日には、ホームセンターの廃材を使い、
工具を使い、トイレを作られ、廻りや天井を覆いと
だんだんに男性達が作って行ったそうです。
避難先がホームセンターの屋上というのが、
ラッキーだったとおっしゃっていました。
でも、簡単に伺ってしまいますが、
100数十名の排泄されたものの処理など考えると、
ものすごく、大変な事です。

お風呂は、この屋上から降りてもすぐ入れず、
何日も後になって入った時には、
髪を洗うと、真っ黒などろ水になり、
お風呂は垢で白濁したそうです。
十三浜の遠藤さん達は沢の水を汲んで、
お風呂はわかめなどを入れる、プラスチック容器を使ったと言ってました。
十三浜の方は3ヶ月半後まで、水、電気全く、復旧しなかったそうです。

また、ホームセンター屋上に避難した方々は
結局、そこで、1週間を過ごすのですが、
喰うや喰わずで、落ちている魚を(石巻なので、流れついた冷凍の魚があった)
これまた、偶然、隣がお酒やさんだった為、お酒で洗い、消毒し、(水がないので)
焼いて泥だらけのまわりは取り、(泥と言っても、ガソリン、汚物いろいろ混ざった)
中身だけを食べていたので、ひどい食中毒などは、出なかったそうです。

ただ、全く、誰も、食料など援助に来てくれなかったので、(ヘリコプターはブンブン飛んでいるのに)
数日後から、1日1食になり、
みんな、ふらふらだったそうで、
齋藤さんのお孫さんは、1週間後に知人宅に避難した時に、
急に、ちゃんと食べた為に、
胃腸がおかしくなって、大変な事になったそうで、
こういう時は少しずつ食べないと死ぬ事もあるそうですから、
みなさんも憶えておくといいですね。
また、このお孫さんは、脱水症状でフラフラになったそうで、
やっと、見つけてきた、ポカリスエットをあげたら、
急に、シャキとなったそうです。

また、1週間後、ホームセンター屋上から降りた時でも、
亡くなられた方の遺体は片付いていないで、(木に子供がひっかかって居たり)
仕方なく、生き残った方々がふとんをかけたりしたそうで、
齋藤さんが知らずにふとんを持ち上げたら、
お母さんが子供抱いた遺体だったそうです。
隣のスーパーは、
店内に津波で流された、80−90人位の遺体があったそうです。
と言ったように、戦場のような光景だったんだろうと、想像します。
(それを眼にしたかどうかは大きな違いですね。)

でも、そんな中、九死に一生を得た方々もいらっしゃいます。
一番、驚いたのは、車が津波で流され、
一人だけ、他の車(そちらはみなさん、亡くなられ)に続かず、
別の方向に流され、流された先が葬儀社だった方のお話。
流れついた時には、車の中が水で一杯になっていたけれど、
葬儀社の2Fに避難している方々がいらしたので、
車の中から助けられたそうです。
でも、意識をなくされたそうで、
葬儀社の方の知恵ある行動で助かったそうですが、
そのお話がびっくりでした。
この方、ずぶ濡れなので、まず、服を脱がされ、
カーテンでミイラのように包まれ、
体温が低くなってしまったので、
温かくする為に棺桶の中へ入れられ、
なんと、なんと、3日後に意識を取り戻したとか。

もう1つあった棺桶も、
他のみなさんで代わる代わる、
暖をとる為に入って寝たそうです。
意外なものが、役立つんですね。

と、いろいろ、書ききれない程のお話を伺いました。

本当に、遠くから、お話に来てくださった、
齋藤さん、遠藤さんご一家に感謝します。
ありがとうございました!